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66回目の広島原爆忌は、はたして「新章」への転換となるか?

2011 - 08/06 [Sat] - 21:47

 今日は、66回目となる広島原爆忌である。そんな訳で、今年もまた「この日」にいろいろと思いを綴るものである(汗)。

 これは個人的思いなのだが、今回の原爆忌は様々な意味で「転換期」というか、「新たなステージへの転換」とも思える様な感じである。例えば、53年ぶりに広島カープ主催試合を今日この日に行なったり、広島市長も秋葉前市長から松井市長に変わっている。
 そして、何よりも東日本大震災にかかわる福島第一原発事故によって、それまで「核兵器」への批判にやや限定された感のある議論が、今回は「原子力」というか「核」全般に言及する向きとなり、原子力行政の在り方をも問うものとなったのは、当然といえば当然の流れかもしれない。そう思ったものである。

<広島原爆の日>「脱原発依存目指す」菅首相があいさつで
毎日新聞 8月6日(土)11時10分配信

 菅直人首相は6日午前、広島市の平和記念式典でのあいさつで東京電力福島第1原発事故に触れ、「これまでの『安全神話』を深く反省し、原因の徹底検証と安全性確保の抜本対策を講じ、原発への依存度を引き下げ、原発に依存しない社会を目指す」と表明。「今回の事故を人類にとっての新たな教訓と受け止め、世界の人々や将来の世代に伝えることが我々の責務だ」と強調した。

 首相は事故について「放射性物質の放出を引き起こし、我が国はもとより世界各国に大きな不安を与えた」とする一方、「事態は着実に安定してきているが、多くの課題が残されており、今後も全力で取り組む」と収束への決意を示した。

 また、首相は冒頭で「広島を襲った核兵器の惨禍を二度と繰り返してはならない。究極的な核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向け、憲法を順守し非核三原則を堅持することを誓う」と語った。



 後述する「平和宣言」においては、宣言の「序盤」に例年の如く「原爆の悲惨さ」が描写されるものとなっており、そこから核兵器廃絶に向けたメッセージを盛り込む事が常であったが、今年はさらにエネルギー政策の転換にまで言及するものとなっている。
 また、菅首相も「原発に依存しない社会を」と発言している。

 元々核兵器は、その破壊力と強大な「エネルギー」から発せられる放射能の恐怖から、これまでの間に様々な議論が交わされ、そんな中でも「危険」を承知での「核武装論」が展開され、当然ながらそうした論理への反発も、広島や長崎で語り継がれた被爆経験などからすれば「とんでもない」という趣旨でなされたものであった。
 そこへ、今年の場合は原発事故によって「放射能への恐怖」が日常社会に多大な不安を与えている現状が加わり、「核(原子力)そのもの」に対しての反発、あるいは抵抗感が色濃く打ち出されたものだと、自分は思ったものだった。

 それでも、昨日は石原都知事が「核武装シミュレーション」の持論を打ちあげるなど、元来からの「核武装」論者や、原子力政策を強く推し進めた人達からすれば、今回の平和宣言とか、「核への批判」に対してもどこ吹く風という感じに、ひたすら「現状維持」に務めているかのように見えたりもする。そこが、個人的にもどかしい思いをしてならない。

 正直なところ、原子力政策という名目で「核の平和利用」というのは、「放射能への恐怖」の観点からすればとっくに限界を来たしてしまったように思えてならない。今もなお食料品への放射性物質検出のニュースが喧しく言われ続け、放射能汚染の危険が隣り合わせの生活を強いられている今、そこで現行政策を「継続させる事」自体に強い違和感を抱かざるを得ない。それ故に、菅首相の言う「脱原発依存」となると、短期的にはともかく中長期的展望を見据えるとすれば、何とも頼りないというか腰砕けな感じもしてしまう。

 自分としては、原発を「すぐに無くせ」というのは、代替エネルギーの他に、原発を抱える自治体の地場産業等への影響を考えると「とても無理」と考え、しかしいずれは「脱原発」をめざすためには、中長期的展望をハッキリと示してレールを敷いてしまいたい、そんな思いを持っている。
 そう考えると、欲を言えば松井市長にも菅首相にも、もっと「核不拡散体制の構築」とか「脱原発社会」に向けて強いメッセージを発してもらいたかった、という思いもする。

 そう考えると、事の大きさを考えれば当然ながらそう簡単に「転換を迎える」ことは容易ではないだろうけど、国や自治体、企業のトップ連中ばかりを当てにするより、自分達がそうした社会を築き上げるために何をしていくか。そうした事を念頭に入れて行動していく事が、今後本当に「核不拡散」とか「脱原発」へ転換していく「大事なこと」なのかな、と改めて考えた次第である。

平 和 宣 言


66年前、あの時を迎えるまで、戦時中とはいえ、広島の市民はいつも通りに生活していました。かつて市内有数の繁華街であった、ここ平和記念公園の地にも、多くの家族が幸せに暮らす姿がありました。当時13歳だった男性は、打ち明けます。――「8月5日は、中学2年生の私にとっては久しぶりに一日ゆっくり休める日曜日でした。仲良しだった同級生を誘って、近くの川で時間の経つのも忘れて夕方まで、砂場でたわむれ、泳いだのですが、真夏の暑いその日が彼との出会いの最後だったのです。」

ところが、翌日の8月6日午前8時15分に、一発の原子爆弾でそれまでの生活が根底から破壊されてしまいます。当時16歳だった女性の言葉です。――「体重40キロの私の体は、爆風に7メートル吹き飛ばされ意識を失った。意識が戻ったとき、辺りは真っ暗で、音の無い、静かな世界に、私一人、この世に取り残されたように思った。私は、腰のところにボロ布をまとっているだけの裸体で、左腕の皮膚が5センチ間隔で破れクルクルッと巻いていた。右腕は白っぽくなっていた。顔に手をやると、右頬はガサガサしていて、左頬はねっとりしていた。」

原爆により街と暮らしが破壊し尽くされた中で、人々は、とまどい、傷つきながらもお互いに助け合おうとしました。――「突然、『助けて!』『おかあちゃん助けて!』泣き叫ぶたくさんの声が聞こえてきた。私は近くから聞こえる声に『助けてあげる』と呼びかけ、その方へ歩み寄ろうとしたが、体が重く、何とか動いて一人の幼い子供を助けた。両手の皮膚が無い私は、もう助けることはできない。…『ごめんなさい』…。」

それは、この平和記念公園の地のみならず、広島のいたるところに見られた情景です。助けようにも助けられなかった、あるいは、身内で自分一人だけ生き残ったことへの罪の意識をいまだに持ち続けている人も少なくありません。

被爆者は、様々な体験を通じて、原爆で犠牲となった方々の声や思いを胸に、核兵器のない世界を願い、毎日を懸命に生き抜いてきました。そして、被爆者をはじめとする広島市民は、国内外から心温まる多くの支援を受け、この街を蘇らせました。

その被爆者は、平均年齢77歳を超えながらも、今もって、街を蘇生させた力を振り絞り、核兵器廃絶と世界恒久平和を希求し続けています。このままで良いのでしょうか。決してそうではありません。今こそ私たちが、すべての被爆者からその体験や平和への思いをしっかり学び、次世代に、そして世界に伝えていかなければなりません。

私は、この平和宣言により、被爆者の体験や平和への思いを、この世界に生きる一人一人に伝えたいと考えています。そして、人々が集まる世界の都市が2020年までの核兵器廃絶を目指すよう、長崎市とともに平和市長会議の輪を広げることに力を注ぎます。さらに、各国、とりわけ臨界前核実験などを繰り返す米国を含めすべての核保有国には、核兵器廃絶に向けた取組を強力に進めてほしいのです。そのため、世界の為政者たちが広島の地に集い核不拡散体制を議論するための国際会議の開催を目指します。

今年3月11日に東日本大震災が発生しました。その惨状は、66年前の広島の姿を彷彿させるものであり、とても心を痛めています。震災により亡くなられた多くの方々の御冥福を心からお祈りします。そして、広島は、一日も早い復興を願い、被災地の皆さんを応援しています。

また、東京電力福島第一原子力発電所の事故も起こり、今なお続いている放射線の脅威は、被災者をはじめ多くの人々を不安に陥れ、原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、「核と人類は共存できない」との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。

日本政府は、このような現状を真摯に受け止め、国民の理解と信頼を得られるよう早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。また、被爆者の高齢化は年々進んでいます。日本政府には、「黒い雨降雨地域」を早期に拡大するとともに、国の内外を問わず、きめ細かく温かい援護策を充実するよう強く求めます。

私たちは、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、「原爆は二度とごめんだ」、「こんな思いをほかの誰にもさせてはならない」という思いを新たにし、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。

平成23年(2011年)8月6日
                        広島市長 松井 一實

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